Facebookをまだやっているという友達が激減している理由
ここ数年、Facebook離れやFacebook疲れというような言葉が出てきていましたが、正直なところ私自身の感覚ではいまいちピンときていませんでした。
しかし、去年あたりからジワジワとタイムライン上からアクティブな友達の数は減りはじめ、今年に入ってついに「見るに値しないもの」、つまりミクシィやグリーと同じようなものになろうとしています。このままだと半年後くらいにはログインパスワードを忘れてしまい、完全に過去のものとなりそうな勢いだったりもします。
もちろん、フェイスブックを開けば、現在でも多くの友人が近況を書き込んでいたりもするのだけど、なんというかみんな自分の中で「友人」なのです。もはや「友達」じゃなくて。フェイスブックに飽きたという人は増えていますよね?この先、フェイスブックはどうなるんでしょう?
かつてフェイスブックはリア充のものだったが、今は…?
友達の多くがやめてしまった理由には単純に飽きたということもあるかもしれませんが、その背景には「友達以外とも、たとえば職場の人などとも繋がらなくてはいけない」みたいな暗黙のルールが原因だったのだと思います。そのせいで流れてくるタイムラインに本当に仲の良い友達が流れてこない。フェイスブックを開きたくなくなる。さらに友達の投稿が流れなくなる、、という悪循環。
最近では友達の投稿を優先して出す、メディアの投稿や広告などはフィードになるべく流れてこないようにするアルゴリズムになったそうですが、そもそもフェイスブックをやっている人が減っていて、しかも仲の良くもない友人の投稿が流れてきたってどうしようもない。
かつてフェイスブックは「リア充のもの」みたいな揶揄もされていましたが、もはや今はリア充さえもいません。今では友達の少ない寂しい人たちが「自分はちゃんと生きていますよ」と必死にアピールしているだけの、すごくつまらないものになってしまっています。
飽きたのならフェイスブックを開かなきゃいいじゃないか、フェイスブックを退会すればいいじゃないか、と思うこともあります。しかし、実名ゆえのしがらみか、また仕事関係ともつながっていたりもするので、なかなかフェイスブック退会まではハードルが高かったりもします。放置するのがいちばんいいのかなーとも思いつつ、なにげなしに開いてしまって、「うわ、またこいつ、一人旅してるよ」とげんなりしたり。
友達のほとんどが「フェイスブックに飽きた」「フェイスブックやめたい」「フェイスブックつまらない」
ちなみに「友達」の定義は人それぞれですが、私のなかではやっぱり学生時代の友達が「本当の友達」です。社会人になってからすごく仲良くなった人たちもいることはいるけど、やっぱり多くは「友人」という表現のほうがふさわしい気が…。
普段の生活で「こいつは友達」「この人は友人」というような線引きをすることはないのですが、なぜか今、フェイスブックのタイムラインにあがってくる人はみな「友人」ばかり。
そこまで仲良くない友人のどうでもいい投稿にイライラ!
友達の投稿だったら「子供が生まれました」とか「29の日。焼き肉!!!」だったり「ネイルしてきたー。今日はパステルイエローに流行の…(続きを読む)」とかでも微笑ましく読めるし、「○○さんが××さん(知らない人)の写真にタグ付けされました」という知り合いじゃない人の投稿でさえ、何してたんだろ?って気になっていました。
さらに「見える点の状態でストレスを診断! 白い点、見えますか?」とかいう宣伝ページも友達がいいね!をしていたのであれば、「えっ、黒に見えるけど?何これー!」とけっこう楽しんでいました。
……が、これが「友達」でなく「友人」となると、無性にキーってなるんです!
「お前がどこで何を食おうが、誰と遊ぼうが、どこで3000gの元気な赤ちゃんを産もうがカンケーねぇーんだよ」「ストレスで黒い点が見えてくるのは、お前らのつまらねー投稿のせいだよ」と、もはや腹が立つを通りこして、憎悪に近い感覚にさえおそわれてくる。友人たちは何も悪いことはしていないのに。
最近では、このキーさえも起こらず、もう本当にフェイスブックを開くことすらなりつつあります。もうフェイスブックは私にとって終わってしまったのでしょうか。
まだ世間的にはフェイスブック一人勝ち状態?
とはいえ、いまだにフェイスブックの影響力はすさまじいといえるでしょう。例えば、こうしたブログでも、ブックマークされて、ツイッターで拡散され、最後にフェイスブックで大量のシェアやいいね!をされて、はじめて「バズる」という状態になったと言えます。
あるネットニュースでは「フェイスブックは人間関係のOSになった」なんて絶賛する記事も見かけました。私の感覚では、まわりはやってないのにー、というのが正直なところだけど、このギャップはなんなのだろう。
いいね!ボタンがリニューアル。「超いいね!」「悲しいね」が追加されたけど
2016年になって、フェイスブックの新たな試みとして、超いいね!や悲しいねというボタンが付けられるようになったようですが、はたしてこれが日本人ユーザーの囲い込みにどのくらい影響するのか。
個人的な意見ですが、これでフェイスブックが楽しくなった、より使いたくなったという人はいないんじゃないでしょうか。ただ、知り合いが「飼ってた犬が亡くなった」 という投稿をした際に、これまで「いいね」ができなかった人が「悲しいね」とできるくらいのメリットしか感じません。むしろ、まちがって「超いいね」を押してしまう危険を考えたらデメリットかも。
とはいえ、こうしてまだまだフェイスブックは進化(?)しているようで、そこそこ話題にはなっているようです。
私にとって、そして私のまわりの友達にとって、フェイスブックは終わってしまった
だから、実際のところSNSでは一人勝ち状態だろうし、たとえば最近、日本に上陸したバズフィードもフェイスブックを中心に攻めようとしています。まだ世間的には終わる気配はないのかもしれないとも。AKBと同じで、「終わった終わった」と言われているうちはまだまだ終わらないものが世の中にはたくさんあります。
元々、グリーもミクシィも好きでした。こうして「フェイスブックに飽きた」と書いていますが、フェイスブックも楽しんでいました。SNSに疲れたわけではありません。よーするに、また「友達」と繋がりたいのです。「友人」でなく、本当に仲の良かった友達と。
しかし、私の中でフェイスブックは終わってしまった。この先、どうすればいいのでしょうか。フェイスブックの代わりとなるものは現れるのか、もしくはLINEが次のSNS的な役割を果たすようになるのか。LINEであれば、まだ「友人」ではなく「友達」たちとの連絡先がつながっていて、SNSとしての可能性は見いだせるのですが。
LINE時代に突入。ただ、SNSとして次にくるのは何?
もはやLINEの勢いはフェイスブックを凌駕していると思いますが、基本的にはメッセージのやり取りとしてのツールだと思っています。それでも最近はラインブログやラインニュース、ラインミュージックなど様々なサービスが普及してきているのはすごいですが。ただ、フェイスブックのような「自分の身の回りの出来事を投稿する」というニュアンスとはまだちょっと違うような気も。
一応、次世代SNSとしてフェイスブックの次にくるのは、
インスタグラムやVine、SnapChat、Kik、Ello、Shots of Me、Whisper、Pairs、Tsu、……
などなど、たくさんの名前があがっているけれど、どれもフェイスブックのように「誰もが使っているSNS」になるのは厳しいかもしれません。
もはやSNSという文化は終わってしまうような予測をしても間違いではないかもしれません。わざわざフェイスブックなんて覗かなくても、この際、友達と直接会って飲みながら近況を聞く方が、よっぽど早い気さえします。
今後のフェイスブックで、ちょっと気になったサービス
ちなみに最近だと、恋人どおしで使うフェイスブックを使ったサービスなんかも登場しているのだとか。むしろ、こういう使い方のほうが意外とニーズに合っているような気もします。サービスとしてはちょっと面白いかも。
もはやフェイスブックを通して別のサービスを使うための、基本登録情報サイトくらいの割り切り方が大切なのかもしれません。
ペアーズなんかは、まわりも使いはじめていて絶好調っぽい。もはや「普通」の男女が使い始めて盛り上がっています。フィイスブックと連携しますが、フェイスブックの知り合いには絶対にわからないようになっている。
フェイスブックの使いやすさや安心性という点を利用したという点は魅力的というか、上手いサービスなのかも。20、30代の若いユーザがフェイスブックをもう一度利用するきっかけにはなっているのかもしれません。
またフェイスブックを「友達とつながる」ツールとして使わずに、完全にビジネスのために使うというのであれば、アリかもしれないですね。フェイスブックを転職活動に利用できるサービスも増えたりしているみたいだし。
こうしたサービスのメリットのためなら、もう一度使ってみる価値は…あるかも?