世の中には「ネットウォッチャー」なる肩書きの方がいる。
インターネットの広大な海をかけめぐり、さまざまなサイトから情報を集める人たち。
しかし、ほとんどの場合、それは「正義と正論の名の下に、ネットにおける悪事を見つけて、皆に広める人」というニュアンスで使われている、ように思う。
そうした人たちのそうした行為が善なのか、それとも悪なのか。私にはよくわからない。人々の役に立っていることもあるし、単なるアラ探しやネットリンチをしているだけもあると思う。
ただ、1つだけ言えるのは、私はネットをウォッチして、インターネットの良い面ばかりを伝えられるようになりたい。面白い記事ばかりを見つけられるネットウォッチャーになりたい。
正直、そろそろネットの悪い部分を見るのは疲れた。あれはダメ、これもダメという正義を読むのにも疲れた。
こう感じている人、けっこう多いのではないか。
そして、なぜこの話をこのフリーライターに向けたブログに書いたかというと、こうした「良い記事を見つけるネットウォッチャーになる」という感覚は、たぶんこれからますますライターには必要となると思うから。
お金にもつながりやすいと思う。
今のネットウォッチャーを否定するつもりはないし、現にそういう人たちの中には、ネットの面白い部分を伝えてくれている人もたくさんいる。
だから、いつの日か、ネットウォッチャーという言葉が、どちらの意味でも使われるようになるといいな。
そう思った次第。