いつもはライター仕事のことをメインに書いてますが、今回は編集者視点での話です。
編集者として他のライターと仕事をしていると、たまにこんなケースに遭遇します。
「お金はいらないから書かせてくれ!」
持ち込まれた企画について「これはちょっと」とボツにしようとすると、タダでもいいからどうしても書きたいと言うライターは意外と少なくありません。
最初は、原稿料ナシでも書きたいなんてすごい熱意だな、と感心しましたが、すぐに気付きます。このパターンはたいてい困ることになる。
早い話が「つまらない」のです。
私はライターも編集もするので、どちらの気持ちもわかっている(つもり)なのですが、つまらないものを世の中に出すのは編集者として一番やってはいけないこと。
「どうしても書かせてほしい。お金はいらない。他のところには頼めない。取材費も自分で持つから。ねっ?お願い!」
と必死に懇願されると、「まぁ、そこまでいうなら」「経費削減で助かるし」となりそうですが、やっぱりやめておいたほうがいい。
「書きたい」熱量と「読みたい」需要は比例しない
もちろん、ものすごい熱量の素晴らしい原稿があがってくることだってあるでしょう。でも、それは稀なケース。ほとんどの場合、独りよがりで読者を無視したマニアックすぎる「作品」が仕上がってくるのです。
そもそも他のところに頼めない時点で、需要がないんです。
原稿料が発生するというのはビジネスであるということ。なんでも商売主義なのもどうかと思いますが、お客様のことを考えないでモノは売れない。
原稿だって一緒です。原稿料ナシで書きたいというライターの原稿は、「書きたい」が強すぎてどうしても「読ませる」が抜け落ちてしまうのです。
原稿料ゼロはクリエイティブか?
とはいえ、漫画雑誌「ガロ」のようなことも世の中にはあります。原稿料ゼロで自由に描かせて、多くの才能ある若手作家が育ったと言います。
しかし、これは私の完全な予想ですが、多くの才能ある若手が育つと同時に、才能のなかった人たちによる駄作もたくさん生まれたのではないかと。
なんとなくお金とは別の次元で自由に好きなことを生み出すほうがクリエイティブで正しいように感じますが、実際はそうじゃない。
戦力外のプロ野球選手が「年俸いらないから試合に出してくれ」と言われて、監督は打席に立たせるでしょうか。それと近い感覚かもしれません。
ただ、ネットでは成立することも?
「読者無視?上等だよ。わかるやつだけわかればいい」
それじゃあプロとしては、やっぱり通用しないのです。
が、しかし、インターネットというメディアの場合、少し話は変わってきます。「わかるやつだけわかればいい」が成立することが十分ありえる。
たとえ独りよがりな文章でも、わかるやつがコメントして、そのコメントに他の誰かがコメントして、最終的にはわからないやつにもわかるようになる。
昔、冗談の通じるライターには「原稿料ナシでもそんなに書きたいなら、自分のブログに書いたらいいんじゃないですか?」と言っていましたが、最近はけっこう本気でそうしたほうがいいと思っています。
しかし基本的に「タダでも書きたい」というライターの原稿はろくなもんじゃありません。
タダでも書きたいという熱い想いは悪いことではない。だけど、
「自分がどうしても書きたいと思ったその文章は、読者がどうしても読みたいと思う文章なのか」
そのことを、もう一度考えてから企画を提案するべきなのです。