「知識がない、だからやりたくない」はもったいない
どーも、名瀬なのかです。
私は普段ライターの仕事をしているのですが、先日とある著名人のインタビューの仕事を依頼されました。
しかし、どうしてもスケジュールの都合がつかず、後輩ライターに代わりにお願いできないかと頼んだのですが、後輩に話を振ってみると
後輩「うーん、私はその著名人のこと詳しくないんで。あんまり知らないんですよ」
私「今回はそこまでつっこんで聞かなくても大丈夫だから、事前にインタビュー内容を固めておけば平気じゃない?むしろ知らない読者に向けて届けたいし」
後輩「でも、私が相手のこと知らないことバレたら失礼ですし」
私「そ、そっかー。わかった」
確かに後輩の言うことはすごくわかります。付け焼き刃で相手のことを調べてもきっとボロは出るし、インタビュー相手はもちろん、読者にだって「わかってない感」はバレてしまうかもしれません。
でも、これってなんだかもったいなくないかなーと私は思うのです。
知らないと動かない人。
最近、こういう人が増えている気がします。それが当たり前の世の中になっているようにも感じます。
それって、すごーく損だと思うのです。
知らないと動かない人って損してない?
この話は、私のような仕事に限らず、今、世の中に蔓延していると思います。
詳しくないくせに病。
詳しくないくせに働くな。詳しくないくせに売るな。詳しくないくせに買うな。詳しくないくせに観るな。詳しくないくせに読むな。詳しくないくせに書くな。詳しくないくせに好きになるな。
どんな仕事でも、はじめから詳しくないと動けない。そのために調べようせず、動くことを諦めてしまう。
仕事に限らず、例えば、こうしたブログでも、詳しくないくせに「生活保護」や「安保法案」みたいな特に専門知識が必要な社会問題などを素人が書くとすぐに叩かれます。
ちゃんと調べてから意見しろ!
それでみんな萎縮してしまう。結果として、自分がやりたいことできず、言いたいこと言えず、何もできなくなる(反町ポイズン状態)
今、世の中で評価されるのが、物事を論破できるロジカルで博識があって雑学王みたいな人って風潮なのも、こうした「詳しくないくせに」病のせいなんじゃないかなと思うのです。
でも、みんながみんな、有識者じゃありません。
付け焼き刃だっていいじゃん!
もちろん、どんなことでも知らないよりは知ってるほうがいい。知らないのに動くのが無謀なこともある。
だったら、動きながら調べればいいんです。
自分が知らないなら、知ろうとすればいい。詳しくなろうとすればいい。たしかに付け焼き刃かもしれないけど、そうした付け焼き刃の積み重ねが次に繋がるし、わざわざ詳しくなるまで時間をかける必要はないのでは。
大学受験や資格試験なら、一年間かけて知識を積み込み、それを一発勝負にかけなければいけないけれど、世の中はそうじゃない。
仕事なら、知らないことがあれば、その都度調べ、対応していく必要があります。「自分、その分野は詳しくないので営業できないっす。一年間調べてきていいですか?」は通用しません。
なので、ひとつひとつのことに、たとえ知らなくても、必死に調べて、詳しくなろうとして、実際に動いていかなきゃいけないはず。
ことに知識に関しては、「はじめからたくさん知ってる人が偉い」みたいな感覚があるかもしれないけれど、まずは詳しくなろうとする「付け焼き刃」が、本当は大切なんじゃないかなーと、思っています。
というわけで、次回のブログでは、物理学には詳しくない私ですが、ヤン–ミルズ方程式の存在と質量ギャップ問題について書く予定です(ウソ)