ソース(出どころ)のないブログには価値がない?
普段、いろんな人たちのブログを読んでいると「引用がない、ただの駄文」「その話、ソースどこ?」みたいなコメントが書かれているのが目立つなーと感じます。にちゃんねるのような掲示板でもずっとあったことですが、最近のブログでは「結局、あんたの私見だろ」みたいなコメントが当たり前。ブログを書く側もそうしたツッコミが入らないよう、引用に引用を重ねて、もはや自分の意見を入れてはいけないというルールを自らに課しているんじゃないかとさえ感じることも。
でも、ブログって私見、つまり個人的な見解をつらつらと書くために存在するんじゃないの?
実際、私のブログにもそういうコメントをもらったこともあり、「たしかに、出典とか引用をからめて、もっと具体的に書いておいた方がわかりやすかったかー」と反省したこともあるのですが、同時に「なんでわざわざブログにそこまで丁寧に書かなきゃいけないんだよ。めんどくさいわ!フンガー!!」なんて思うことも多いです。
その結果、いつの間にか世の中は「私はこう思う」よりも「誰々がこう言っていました」のほうに価値が出てきてしまっているように「私は思う」のです(←これも別にソースはない個人的見解なので…あー、めんどくさい)
もちろん、ブログはほとんどが匿名である以上、知らない人の好き勝手な信憑性のない意見に踊らされたくないのはわかりますし、混沌としたネットの世界で「エビデンス」を担保しなくてはいけないのもうなずけます。
一番良いのは「誰々がこう言っていました。ソースはこれです。それで、私はこう思います」なのでしょう。ただ、私はこれまでライターの仕事をしてきた関係もあって、「ブログにそこまで必要?チラ裏でもいーじゃん」というのが正直なところだったりするのです。
駆け出しフリーライターのころ、先輩ライターに言われた言葉
一方でこんな話があります。
ライターの仕事をはじめたころ、似たようなケースで、とても勉強になったことがあって、ライターとして右も左もわからない私があげた原稿を読んで、先輩ライターはこう怒りました。
「これさ、あなたの感想文だよね。あなたはコラムニストなの?ライターだよね?取材はしたの?取材した人からコメントはとったの?こんなの世の中に出せる記事じゃないよ」
私としては、しっかりと取材したつもりで、すごく自信があっただけにショックでした。でも、その時の私は、コラムニストとライターの違いもいまいちわかっていなかった気がします。
「あなたはライターなんだから、読者は別にあなたがどう思うかなんて興味ないの。取材したこと、取材した人たちのコメント、それを載せるのがライターだから」
かなりのカルチャーショックでした。読者は誰が書いた記事かなんて気にしていないし、ライターがどう思うかなんてどーでもいい。たとえ署名原稿であったとしても、です。よっぽど名前が売れているライター以外、私たちは「自分はこう思う」を出すべきじゃない。ライターの腕の見せ所は、いかに取材を通して調べた新しい価値や有益となる情報を読者にわかりやすく伝えるか、だと教わりました。文章に「自分」を出すのは、それが出来た上ではじめて許されるのだと。
今、ブログに「ソース(出どころ)」が求められることはこれと似たことかもしれません。ブログにも、勘違いコラムニストもどきが書いた文章よりも、きちんとした信頼できる確実な情報を求めたい。なので、こうした現象はブログがメディアとして進化しているんだな、素晴らしいことなんだな、と一方では思ったりもするのです。
それでもやっぱりブログに「ソース」はいらない、と私は思う
だけど、やっぱり私は思うんです。本当にブログにソースって必要なのかと。
そもそも多くのブログのおけるソースって、上にあるような「取材」に当たるのかという疑問があります。ほとんどの場合、他人のふんどしで記事を持っているだけなのでは、と。例えば最近、いろんなところのブログで、ブシロード社長の発言「すべてのジャンルはマニアがつぶす」という言葉を引用しているのを見かけました。たぶん、誰かのブログで書かれていたから、いろんな方が引用してみたんだと思いますが、こんなものになんの意味があるのか。
このコメントを引き出した人や、まだ世の中に知られていないので広く伝えたいというのならわかります。すごく共感したんなら、それもわかります。でも、違うんです。「ほら、引用してるでしょ?ソース出したでしょ?だから私は正しいでしょ?」みたいな、まるで引用を自分の意見のようにするスタンスが、私は読んでいてすごく嫌なんです。
だったら、でっちあげでもいいから、自分の面白かったことや楽しかったこと、自分なりの意見を書いているブログのほうがいい。
たぶん、これから求められるのは、他の人はマネできないような自分の体験や経験を書いていくことなのでしょうし、それに対して異論はありません。イケダなんちゃらやヒカキンなんちゃらがブログやネット動画で人気なのは、彼らが他の人にはマネできないことを引用ではなく、自らが発信しているからであって、それが正しい気もします。(好き嫌いは別として)
ただ、もちろん個人のブロガー、いやブロガーというよりも、ただブログを書きたい人にとって、そこまでのクオリティや労力を求めるのは大変ですし、もっと自由に、良い意味で自分が思ったことを「テキトー」に「自分勝手」に書いてもいいんじゃないでしょうか。
……まぁ、ただ単に私が「ネットウォッチャー」的な、いろんなところからリンクを引っ張ってきて、「はい、ソース。はい、正論」みたいなブログが嫌いなだけなのかもしれません。私のブログなんて、これまでの経験を偉そうにつらつらと書いているだけの駄ブログなのもわかっております、はい。
ただ、世の中のブログを見渡したとき、もう少し「自分勝手」なブログがあっていいし、そういうブログが読みたいなーと、ここ最近、私はずっと思っています。
「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum)
〜デカルト『方法序説』より引用〜
あ、ソースかけちゃった。