押し入れで寝ることは「孤独でない」ことの証明である

私には自分の部屋がなかった。でも、押し入れがあった

高校生まで、私は母と同じ部屋で寝ていた。特にお金持ちでも貧乏でもなかったが、友達が自分の部屋を持っていることを知って小学生くらいまでは「うちはビンボーなの?」と怒り狂ったものだ。しかし、中学生になってからその怒りはぱたりと消え去った。

なぜなら、押し入れが私の部屋になったから。

押し入れの中にあるものをすべて取り出し、そこに布団を敷く。いわゆるドラえもん状態。

思えば、ドラえもんだって別にのび太くんと一緒に寝ればいいものをわざわざ押し入れで寝るのは、私が母親に持っていたある種の煩わしさと似ているのかもしれない。

たまには一人にしてくれよ、と。

押し入れはまさに「わたしだけの空間」だった。

小説やマンガを持ち込み、お菓子を持ち込み、懐中電灯で照らしながら貪った。母親が寝静まった後も怖い話を読んだり、ちょっとオトナなマンガにドキドキしたり。
高校生になるとラジオを聴いたり、友達とピッチ(昔、そういうものがあったのです)でコソコソ話したり、枕相手に好きな人に告白するシミュレーションをしてみたり、私の青春は常に押し入れの中にあった。

当時、ラジオで「深田恭子のインマイルーム」という番組があったが、私にとっては「インマイオシイレ」のほうがずっと素敵な場所だと信じていた。

押し入れに寝ている人は、誰かがそばにいる幸せ者

そんな私もいまは一人暮らしをしている。押し入れ生活の影響か、広い部屋への憧れがなく、相変わらず狭いワンルームに住んでいる。

ただ、ふと思ったことがある。一人暮らしの今、押し入れに寝ようとは思わない。

そもそも自分の部屋があるのだから押し入れに寝る必要がないのだけど、理由はそれだけじゃない。

一人暮らしで押し入れに寝るのは寂しすぎるのだ。それにやっぱり怖い。

押し入れに寝るという行為は、誰かと一緒に暮らしていて、はじめて出来ることなのだ。

そう考えると、押し入れの外から聞こえてきた母親の寝息が妙に愛おしくなる。グガー、グゴー、たまにグヘヘー。うるさくてイヤホンで耳を塞いでいたあのイビキの音も、私が押し入れという楽園を作るのには必要だったのかもしれない。

だから世の中に何人いるかわからないけれど、押し入れに寝ている人はきっと幸せ者だ。いつか私に家族が出来たら、もう一度押し入れに寝てみたい。

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