今年は不倫の当たり年ですね。
私はもちろん不倫はダメだと思うし、いつか自分がされたら八つ裂きにしてやろうと思いますが、不倫報道でいつも感じるのが、「アーティストは善人でいなくちゃいけないのか」ということ。
不倫が発覚して、これまでファンだった人がショックを受けたり、批判したい人がいるのはわからなくもない。
でも、どんなひどいことをしていても「曲」が良ければいいのでは、といつも思う。むしろ、どんなに良い人だって、曲が良くなくちゃ存在価値はない。恋愛なんて、哀しい不倫を歌ったほうが絶対に名曲だと思うけど。まあ、ファンキーモンキーの人は、曲のイメージと違い過ぎたのもショックだったのでしょう。
ここで言うアーティストとは音楽を作ってる人だけじゃなく、俳優や女性、映画監督、スポーツ選手、コメディアン、小説家、、、とにかく何かを作品を生み出している人たちのこと。
そういう人たちは、別に善人である必要ありますか?
清廉潔白じゃなきゃいけないのなんて、タレントと政治家くらいかと(なぜなら彼ら彼女らは自分自身が商品だから)
盗んだバイクで走り出すようなクソ野郎でも、若者が熱狂できるような曲が作れるならいい。だれかれかまわず灰皿を投げつけるような恐ろしい人でも面白い舞台を演出するなら素晴らしい。元殺人鬼だろうと書いた本が感動できるなら作家としては評価すべき(本の内容がひどければ話は別ですが)
、、、と、私はずっと思っていたのですが、もしかするとこういう考えって、もう時代遅れなのかなーと。(そういう時代があったかはさておき)
私はライターという仕事をしているのですが、いろんなアーティストの方に取材していて思うのは、どの方もみんな腰が低くて優しい良い人ばかりだなーということ。
インタビューしていて「別に」と答えられたことはほとんどありません(たまに冷たい人、厳しい人、疲れてる人はいるけど)
売れてる人、注目されてる人って善人なんですよね。
ただ、個人的には、嫌な奴ならではの、狂気に満ちた、我々一般人には想像もつかない、まさしくゲスの極みのような答えが本当は知りたかったりもします。
映画のインタビューで「現場の雰囲気は和気あいあいでした。家族みたいな感じで撮影は楽しかったです」なんて答えはしてほしくない。「共演したあいつのこと?何度もぶん殴ってやろうと思いましたよ。常にケンカしましたね。そういう怒りがこもってる分、作品は面白いですよ」って言ってほしい。
だけど、こう考える私は、もはやマイナーな存在で、ファンはそれを求めてない。俳優さんもそれを知っているから、そんなことは答えない。だから私もそんなことは聞かない。それが今の時代の正しい考え方。
もっというと、最初に「恋愛の歌なんて哀しい不倫を歌ったほうが名曲」って書きましたけど、実際、今は誰も不倫の歌なんて聞きたくない。共感はもちろんないし、憧れもない。「ストレートな気持ち」を「赤裸々」に明るく歌った曲が聴きたい。そして「赤裸々」には本人のパーソナリティが含まれるから、アーティスト本人も良い人じゃないといけない。
うーん。
なんだかやっぱりつまらない世の中だなーと思うのですが、、、どうなんでしょ?