パクチーが急に食べられるようになって「才能ってなんだろう」と考えた

これまで、私はつくづく中途半端な人間だなぁと思って生きてきた。

 

好きなものに打ち込んでも長続きせず、途中でなんとなく諦めてしまう。

 

「どうせ天才には勝てない」

 

「自分には才能がない」

 

努力は必ず報われるとか継続は力なりという言葉は正しい。ただ、それは元々の才能がある人に限った話だ。

 

天才は努力を続けることで超一流になれるかもしれない。でも、私のような凡人が頑張ったところで、すごい凡人くらいになれるのが関の山。

 

そもそも「人は変われない」とも思っていて、たとえ何か大きな出来事があったとしても、今までの自分が急に別の誰かになんて変わることはないというのが持論だった。

 

「どこどこに旅したら人生観が変わった」なんて人がいるけど、結局は自分という存在は変わらず、ただ良い思い出が出来た分だけ、少し気持ちが前向きにプラスされたんだろ、と冷めた目で見ていた。

……が、しかし、パクチーである。

 

これまでずっと大嫌いで、忌み嫌っていたパクチーが急に食べられるようになった。食べられるというより、もはや大好物になってしまった。

 

あんなに嫌いだったのに。

 

パクチーを食べると、子供の頃に家の裏にあった草がボーボーと生えている狭い道で思い切りコケて、顔中にドクダミか何かの葉っぱがくっつき、気持ち悪さと痛さと臭さで涙を流し、そんな私を見てケッケッケッと笑う兄の憎たらしい顔が蘇った。大人になってパクチーに出会った時、パクチーのなんとも言えない奇妙なかたちも、あの時、気持ち悪い笑みを浮かべた兄のつり上がった目のかたちともそっくりな気がして、吐き気がした。というより吐いた。

 

それなのに。

 

いつの間にか、食べられるようになってしまった。別にきっかけなどない。

 

もしかすると、はじめてパクチーを食べた頃よりもパクチーが美味しくなっているのかもしれないし、どこかのお金持ちが私のためにパクチーを品種改良して、私好みのパクチーを日本の市場に出してるのかもしれない。

 

もしくは、私の知らないうちに、パクチー星人(宇宙の星々をパクチーで支配するために、とりあえずはパクチーの美味しさを普及させようとする宇宙人)が、私の身体を人体改造して、パクチー好きにしたのかもしれない。改造人間コリアンダー!

 

とにかく今、パクチーが大好きになってしまった自分が信じられない。

 

そして気がついた。

 

苦手だと思っていてもある時急に得意になることはある。

 

たかがパクチーと思うかもしれないけど、球を棒で叩いて何億円ももらえる人が天才と呼ばれる世界とは別の世界があったとして(あ、ちなみに野球は大好きです)、もしもパクチーを食べることが競技だとしたら、きっと私は遅れてきたルーキーとして、30歳を過ぎて花開いたパクチー界の新星としてパリーグとコリーグの全ての草団から指名され……

 

と、話がそれてしまったが私が言いたいのは「ひょっとすると人は変われるのでは」ということ。

 

だとすると、今まで眠っていた才能が急に開花することだって十分にありえるのではないか。

 

私はフリーライターという仕事をしているが、ライターとしては二流、いや三流だと思っている。一応、きちんと暮らしてはいけるけど、やはり自分は天才ではない。心のどこかでそんな諦めが私にブレーキをかけている。

 

だからこそ、このブログは「稼ぐフリーライターになる方法」と題して、私のような凡人のために、どうすればライターとして生きていけるかを、ささやかながら書き綴ってきたのだけど、もしかするとそのスタンスは間違っていたのかもしれない。

 

誰にだって急に天才になる可能性はある。可能性はゼロではない。自分には才能がないと諦める必要はない。

 

もしも私のように、自分は二流三流のライターだと思っている人、いやそれ以上に書くことに才能がないと感じてライターになることを諦めてしまっている人に伝えたい。

 

いつか突然、才能が爆発することだってありえる!だからこそもっと高みを目指そう!

 

そう信じて、いつか一流になる日を夢見ながら、私はこうした駄文をこれからも書き綴っていこうと思う。大好きなパクチーをほおばりながら。

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