リベラル。
私はどちらかといえば、自分はリベラルな人間だと思っていた。
なんとなく「自由主義」というようなイメージを持っていて、これまでのバカバカしい伝統やしきたりとかを気にせず、より個人の自由を尊重し、より賢い選択ができる人たちの考えのことを指すものだと思っていた。
実際、リベラルと検索してみると
と出る。
でも、今、リベラルの使い方は変わっている。
自由主義より正しい主義。
ガキ使の浜ちゃんやベッキーの件でギャンギャン騒いでいる人たちは、はたしてリベラルなのか。
笑いというのは、世の中でもっとも自由であるべきだと思っていたし、そういうのを認める自分はリベラルだと思っていた。
笑えるとか笑えないなんて関係ない。そもそも万人が笑えるものなんてない。
子供の頃、ごっつええ感じで「MRベーター」とか「国家」でゲラゲラとお腹を抱えて笑っていたけど、私のお父ちゃんとお母ちゃんは何がそんなに面白いのかとポカーンとしていたし、たぶん怪訝な顔をしていたと思う。
もちろん、差別やイジメが良いなんて思わない。(てゆうか、立場に関係なくみんなが平等にお尻を叩かれているのだから、むしろイジメの構図と逆でしょ?)
でも、お笑いだけは「正しさ」を求めてないでほしいし、そう思う自分はリベラルだと思っていた。
ハゲてる人のカツラがズレたら笑うし、デブがカッコよくビヨンセのモノマネをしても笑う。美人の女子アナがうまくスキップできない姿を見れば、思わず吹き出してしまう。
「ピザじゃないですよ、ピッツァです!」に大笑いしている時、「いや、でも、もしかしたらイタリア人は嫌な思いをしてるかもしれない。というか、ピッツァイコールイタリアというの自体がステレオタイプか」なんて考えたくない。どんな笑いであれ、面白ければ笑いたい。
そういう意味で、人間は醜い生き物だ。他人を傷つける笑いは良くないというが、やっぱり笑ってしまうのが人間なのではないか。
そして、そんな「人間らしさ」を認めるのが、私はリベラルだと、ずっと勘違いしていた。
海外ではどうだこうだとか、今のご時世はどうだこうだとか、周りの意見を引っ張り出して、正しさを強要する風潮を、私は「不自由」だと感じてしまう。
(でも、そういうことと関係なく、今年のガキの使いは、あんまり面白くなかったなー)