なんでもかんでも効率化!そんな世の中です。でも、無駄を否定しすぎちゃうのは意外とダメなのでは。つまらないし、つかれる。帰って非効率になってしまうことにもつながるのでは。効率化しすぎることには弊害があると思うのです。
30代になってから自分よりも若い子と飲みに行くことが多くなりました。
私はフリーライターという特殊な職業に就いているわけですが、大学を出たばかりで同じようにライターをやっているような子から話を聞いていると、なんだか自分は考え方が老けてきているのかなぁなんてショックを受けることも。
と同時に、私が今まで思いつかなかったような発想や着眼点を教えてくれることもしばしば。この業界は脳が老けたら終わりだと思っているので、話していると逆にこっちがものすごく勉強になります。
後輩に対してあまり説教みたいなことはしないようにしていて、それはフリーライターという仕事には「これが正しい」というルールがないから。その時代に合った考え方で取り組むことが「正しさのないなかでの正しさ」というか。そこにブレーキをかけちゃうのは違うのではと常々思っています。
ただ、そんな自分よりも年下の人たちに共通して「それは違うんじゃないかな?」と唯一思うのが、とにかく「無駄を嫌う」ということ。効率化という魔法の言葉のせいで、これがあたりまえになっている。
最短距離でスピーディーにミスをせずにとにかく正しいことをしたい。
これは若者というよりも私のような30代にも多い思想なのかもしれません。そんな話を聞くと、私は「うーん……」となってしまう。
たしかに世の中的には、お金をかけず、時間をかけず、いかに工夫して何かを生み出すことが求められています。効率化は正しい。ただ、この工夫の部分、つまりクリエィティブなところには絶対に無駄なことの積み重ねが必要になってくると私は思うのです。
特に若いうちだと仕事が選べないから、好きでもないことを取材したり、よくわからない人と飲みに行ったり、参考にならない本を読んだり、やりたくない分野の記事を書いたり。
これは仕事のことだけじゃなくてプライベートでも、結婚するかわからない人と付き合う、名作なのかわからない映画を見る、食べログで星が3以下のお店に行く、役に立たないプロブロガーのブログを読む…
こういうことをみんな極端に嫌います。
もちろん自分のやりたくないことをダラダラと続けたり、例えば、以前話題になった十年も寿司屋でひたすら修行するみたいなことが無駄なのは私も同感なのです。
効率化って言葉も、私は好き。意味のない朝礼とか、エクセルデータを電卓で計算し直すとか、世の中からなくなったほうがいいものはたくさんある。
が、ただあまりに無駄を排除しすぎるとそれはそれで弊害が出てくる。なんでもかんでも効率化はつまらない。
効率化ばかり考えてスピードや正確さだけを求めると肝心な「中身」がなくなる=非効率になってしまう
だって人生なんて無駄の連続。すべてのものが役に立ったり、自分のメリットになるわけじゃない。
何年も付き合って結局彼氏と別れても、楽しかった思い出も二度と味わいたくない辛かった経験も残る。食べログで星が微妙なお店にチャレンジしてみてたらやっぱりマズイも実は隠れた名店なのかもわかる。糞ブロガーの炎上中の記事を読めば、真似はしないようにしようとか、この部分は面白いという感想が得られる。
…たとえ無駄な時間をすごしても、こうして長々とあれこれ思考することができるのです。
無駄の連続こそが、実はクリエィティブなことを考えるためにはすごく大切で、スピードや正確さや効率性だけを追い求めると一番肝心な「中身」がなくなってしまう。
効率化ばかり追求するのはつまらない。無駄なことをしないと、チャレンジしないと、意味のないものにも意味を見出さないと、新しいアイデアは生まれない。生まれないというか、生まれづらい。それこそ、みんなが今嫌っている、最短距離でスピーディーにミスをせずにとにかく正しいことの達成を邪魔すること、つまり非効率になるのです。
今回のこのエントリーだって、すごく抽象的だし、ほとんどの人には役に立たないかもしれません。無駄な時間をすいません。
でも、それは違うな、たしかにそうだなと色々と考えるきっかけになって、それが良いアイデアを生み出すほんの数パーセントのきっかけになれば幸いです。
今後、どんな仕事だって効率化されれば、大切になるのはクリエイティブな能力。それは効率化だけでは得られない、と私は思うのです。